皆さんの町をきれいにしたいと思いませんか? そんなあなた!私たちと一緒に環境を守りましょう。                   緑水会は、毎月第一土曜日に西高宮校区の平尾新池を清掃しているボランティア団体です。

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平尾新池物語
第一話  新池、今と昔
(1) 平尾新池は、福岡市の都心・天神から南へ約2.5㌔、低い丘陵地のすそに点在する、ため池の一つである。所在地は南区平和1丁目であるが、池の名は「・・平尾新池」となっている。池の傍にお住まいの羽野次郎さん(平成21年12月没)の話では、当地に引っ越してきた昭和18年当時、この地域は「福岡市大字・・平尾字隅田浦」と称していたそうである。つまり、「平尾」は古くからある地名であり 、この一帯は、「平尾」の南端に位置していたわけである。また、「平尾・・新池」となっているが、これは、この池ができたとき、すでに平尾大池(平尾5丁目)があったので、それを意識して名づけられたものと思われる。 
  水面の広さはおよそ5,500㎡、ひとめぐり約250mの、小さな池である。周辺にはマンションや戸建住宅が立ち並んでいる。池の南に西高宮公民館、北に西高宮小学校がある。この一帯は市の風致地区に指定されているので、比較的、自然が残されている。池にはカモやサギ、バンなどの野鳥も飛来し、スイレンなどの水草が茂る(一時はハスやヒシなども見られた)。さまざまな色合いのニシキゴイも遊泳する。朝夕、散策する人の姿も跡を絶たない。今や、この池は地域の人々のかけがえのない憩いの場所となっている。また、レッドデータブックにも絶滅危惧ⅠB類として記載されているツクシオオガヤツリの群生地でもある。

(2) では、この池はいつ頃出来たのだろうか。地元の円龍寺(平尾4丁目)に所蔵されている「平尾周辺古地図」 を見ると、新池らしい、ため池がのっている。この古地図は1700年代のものと推定されているので、もしこれが正しければ、この池はすでに江戸時代に存在していたことになる。因みに、福岡市には大きな河川が少なく、農業用水はこのようなため池に頼っていたそうである。
 その後、明治・大正時代の資料は見つからず、時代は一挙に昭和に飛ぶ。昭和18年から当地に住んでいる羽野さんや橋田さんなどの話によると、「当時は、池の南側(山寄り)、池の北側(西高宮小の方向)ともに水田が広がっていた。今バス通りとなっている、池と小学校の間の道路など池の周りの道は全て、狭い農道であった。池は満々ときれいな水をたたえ、水位は今より相当高かった。南側は水の流入口で浅瀬となっており、葦が群生してザリガニや小エビ、食用ガエル(ウシガエル)なども取れる格好の遊び場所であった。時折、釣りをする人や泳ぐ人も見られた。毎年あるいは隔年、秋になると池が干され、子どもたちも中に入って、コイやフナ、ドジョウ、ナマズなどの魚とりを楽しんだ。池の周辺には数戸の民家があり、池の西側には大手炭鉱主・貝島家の広壮な別邸があった。」とのことである。また「池は農業用水の貯水が本来の目的であったが、排水路はあったものの、豪雨のときなど増水して道路まで冠水することがあった。転落防止の柵なども無く、池に滑り落ちないように注意して歩いていた。」と。なお、「戦時中は、山側の斜面には兵舎が作られ、兵隊が駐屯していた。また山の各所に防空壕が掘られていた。」そうである。

(3) 戦後は急速に都市化が進み、昭和30年代には平和地区においても大規模な区画整理事業が行われ、現在の道路区画が完成して、その様相を一変した。一方で、住宅建設の波が押し寄せ、田畑などの平地はもちろん傾斜の急な山腹にいたるまで次々にマンションや戸建住宅が建設された。
まず、昭和27年(1952年)には、池の北側の水田が埋め立てられて2階建ての西高宮小学校(旧校舎)が建設された(タレントの・・・たもりはこの小学校の一期生とのこと)。昭和30年代に入ると、福岡音楽学院や寺沢病院が近くに移転してきた。昭和40年代以降から平成にかけても、住宅建設の勢いは止まらず、この一帯はかなり混雑した住宅地と化した。因みに、福岡市が区政を敷いたのは昭和47年4月Ⅰ日であり、この時より当地は福岡市南区となった。
 その間、昭和50年代には、池の南側(山寄り)の浅瀬の部分が市により買い取られて、老人いこいの家が設けられ、隣接の空き地はゲートボールのグラウンドとして利用されていた。当時、池の北側と西側の土手はブロックで補強され、池の周囲には柵が張られて、立ち入り禁止となっていた。雑草や水草の類も茂るにまかせ、全体として荒れ果てた様子であった。市の資料によると昭和58年には「ため池から治水池に」、池の種別が替えられている。
(4) その後、平成15年に至って、池の南(老人いこいの家の跡地)に西高宮公民が移設され、オレンジがかった外観の、洒落た建物が出現した。このことによって池の存在がにわかにクローズアップされ、この池を整備して地域住民のいこいのスポットにしたいという声が高まってきた。市は、市街地に残された貴重なスペースとして、池を整備して市民に開放することを決め、半年余の工期を経て、平成17年5月に現在の平尾新池が完工・オープンした。この時には、工事に先立ち、地域住民参加のワークショップを行って、地域の意向を反映するという方法がとられた。また、完工と同時にこの池の清掃その他維持管理を担うボランティアグループ「緑水会(正式名称:平尾新池 緑と水を守る会)」が結成され、今日にいたるまで月1回の清掃活動が欠かさず続けられている。平尾新池の整備に先立って、池の東南、旧猪俣邸跡地も「平和東の杜」として公園化され、天を覆うクスの大木が池に緑陰を添えている。

(5)現在は、子どもから老人まで多くの人々が、ウォーキングやジョッギングなどの運動を楽しみ、また時にはベンチに憩いながら風景を観賞したり、お互いにあいさつを交わして、ふれあいの機会を持つなど、さまざまな形でこの池を利用している。今や、この池は、地域のオアシス、あるいは一粒の真珠といってもよい貴重な存在となっているようだ。
                                   

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