皆さんの町をきれいにしたいと思いませんか? そんなあなた!私たちと一緒に環境を守りましょう。                   緑水会は、毎月第一土曜日に西高宮校区の平尾新池を清掃しているボランティア団体です。

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去る11月11日に、新池にコイの稚魚600匹、放流しました。

区役所の人のお世話で、コイを頂きました。

西高宮小3年生にやらせる予定でしたが、時間がずれて

結局、区役所の人と公民館の人、私などで行いまし

た。体長、10センチ前後のニシキゴイです。

コウザイ池にも250匹、放流しました。


以上 報告でした。
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去る9月4日に平尾新池にて灯明祭りを行いました。

9月4日(土)、とうろう約4500個。
 西高宮小の3年生が、全員参加しました。

 開会あいさつは、樋口実行委員長。
 「ネーミング大賞」受賞は、西高小3年生。

 夕暮れコンサートは、福岡音楽学院の世
 話で、3人のプロ演奏者に出演してもらいまし
 た。
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樋口実行委員長 あいさつ

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「ネーミング大賞」

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福岡音楽学院による演奏

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0001.jpg カモの話 この池では、カモやバン、サギなどの水鳥が見られるが、何といっても一番の人気者はカモである。例年、4月から6月にかけ、カモの子育てが始まる。巣は、ツクシオオガヤツリの群生地の中に作られているようだ。卵を温める期間は約4週間と云われている。ある日、気がつくと母ガモが10羽前後の子ガモを従えて、池の面を悠々と泳いでいるのに出会う。凛とした母ガモの姿、子ガモへの目配りなどをみると、心打たれる思いがする。彼らの日々の行動はほとんど餌探しであるが、その間、カラスやネコに狙われ、あるいは大雨になると排出口から流されて、子ガモの数は次第に減って行く。夏も終わりに近づくと、母ガモと同じくらいの大きさに育ち、母ガモの指導で飛翔訓練が始まる。やがて巣立ちの日がきて、どこともなく飛び去って行く。池の散策をする人々はカモのことで一喜一憂しながら、言葉を交わす。まことに平和な風景である。 ところが、ある年(平成20年?)異変が起きた。この年は4月に最初のヒナが孵化した。次に大分遅れて6月初旬ころ、2番目のヒナがかえり、池に2つのカモの家族が生息することになった。しかし、そのうち、どうも両家族の関係があまりよろしくないという話が伝わってきた。池の様子に詳しいAさんに聞くと、親同士がいがみ合うというよりは、4月生まれの子ガモの中に暴れん坊が1羽いて、これが6月生まれの子ガモを襲うという。そのため6月生まれの子ガモの1羽が足を痛めているとのことであった。なるほど良くみると、確かに1羽が足を引きずっている。  カモの世界にも不和があるのか、何とかならないかと心を痛めていたところ、7月に入ってからだと思うが、ある日、6月生まれ一家がとつぜん池から姿を消した。一体どうしたものかと思っていたら、この平尾新池から300mくらい離れた鴻榮池(こうざいいけ)にカモがいるという。この鴻榮池(こうざいいけ)というのは、平尾新池の源にあたるため池である。現地に行って確かめたところ、たしかにそれらしい姿が見られる。ただし、子ガモの数が少なくなっている。察するに、6月生まれ一家は4月生まれ一家の圧力に耐えかねて、鴻榮池(こうざいいけ)行きを決行した模様であった。では、どのような方法で移動したのか。親ガモだけならば飛んで行けば簡単である。だがよちよち歩きの子ガモがいる。これはおそらく両池をつなぐ溝を利用したに違いない。溝の幅は広いところで約1m、大部分は60㎝程度で、半分以上はふたに覆われている。親ガモは一族を引き連れ、この溝を遡上して移動したのであろう。子ガモのうちの何羽かは、途中落伍し、そのため鴻榮池(こうざいいけ)で確認された子ガモの数は、大分減っていた。これはまさに命がけの脱出である。自然の生命力の強さを感じさせる出来事であった。 鴻榮池(こうざいいけ)は周囲がブロックで囲われており、カモなどの水鳥が休む場所がない。そのため近隣の人たちが、わざわざ、いかだを組んで池に浮かせ、カモが休める場所を作ってくれた。その後、子ガモたちは順調に育っていたようであるが、巣立ちの様子は確認していない。
         第2回平尾新池 灯明まつり

           ~あかりをともす新池まつり~


日時    9月4日 開催

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写真は昨年のものです。


たくさんの方々のご参加をお待ちしています。

平尾新池物語
第一話  新池、今と昔
(1) 平尾新池は、福岡市の都心・天神から南へ約2.5㌔、低い丘陵地のすそに点在する、ため池の一つである。所在地は南区平和1丁目であるが、池の名は「・・平尾新池」となっている。池の傍にお住まいの羽野次郎さん(平成21年12月没)の話では、当地に引っ越してきた昭和18年当時、この地域は「福岡市大字・・平尾字隅田浦」と称していたそうである。つまり、「平尾」は古くからある地名であり 、この一帯は、「平尾」の南端に位置していたわけである。また、「平尾・・新池」となっているが、これは、この池ができたとき、すでに平尾大池(平尾5丁目)があったので、それを意識して名づけられたものと思われる。 
  水面の広さはおよそ5,500㎡、ひとめぐり約250mの、小さな池である。周辺にはマンションや戸建住宅が立ち並んでいる。池の南に西高宮公民館、北に西高宮小学校がある。この一帯は市の風致地区に指定されているので、比較的、自然が残されている。池にはカモやサギ、バンなどの野鳥も飛来し、スイレンなどの水草が茂る(一時はハスやヒシなども見られた)。さまざまな色合いのニシキゴイも遊泳する。朝夕、散策する人の姿も跡を絶たない。今や、この池は地域の人々のかけがえのない憩いの場所となっている。また、レッドデータブックにも絶滅危惧ⅠB類として記載されているツクシオオガヤツリの群生地でもある。

(2) では、この池はいつ頃出来たのだろうか。地元の円龍寺(平尾4丁目)に所蔵されている「平尾周辺古地図」 を見ると、新池らしい、ため池がのっている。この古地図は1700年代のものと推定されているので、もしこれが正しければ、この池はすでに江戸時代に存在していたことになる。因みに、福岡市には大きな河川が少なく、農業用水はこのようなため池に頼っていたそうである。
 その後、明治・大正時代の資料は見つからず、時代は一挙に昭和に飛ぶ。昭和18年から当地に住んでいる羽野さんや橋田さんなどの話によると、「当時は、池の南側(山寄り)、池の北側(西高宮小の方向)ともに水田が広がっていた。今バス通りとなっている、池と小学校の間の道路など池の周りの道は全て、狭い農道であった。池は満々ときれいな水をたたえ、水位は今より相当高かった。南側は水の流入口で浅瀬となっており、葦が群生してザリガニや小エビ、食用ガエル(ウシガエル)なども取れる格好の遊び場所であった。時折、釣りをする人や泳ぐ人も見られた。毎年あるいは隔年、秋になると池が干され、子どもたちも中に入って、コイやフナ、ドジョウ、ナマズなどの魚とりを楽しんだ。池の周辺には数戸の民家があり、池の西側には大手炭鉱主・貝島家の広壮な別邸があった。」とのことである。また「池は農業用水の貯水が本来の目的であったが、排水路はあったものの、豪雨のときなど増水して道路まで冠水することがあった。転落防止の柵なども無く、池に滑り落ちないように注意して歩いていた。」と。なお、「戦時中は、山側の斜面には兵舎が作られ、兵隊が駐屯していた。また山の各所に防空壕が掘られていた。」そうである。

(3) 戦後は急速に都市化が進み、昭和30年代には平和地区においても大規模な区画整理事業が行われ、現在の道路区画が完成して、その様相を一変した。一方で、住宅建設の波が押し寄せ、田畑などの平地はもちろん傾斜の急な山腹にいたるまで次々にマンションや戸建住宅が建設された。
まず、昭和27年(1952年)には、池の北側の水田が埋め立てられて2階建ての西高宮小学校(旧校舎)が建設された(タレントの・・・たもりはこの小学校の一期生とのこと)。昭和30年代に入ると、福岡音楽学院や寺沢病院が近くに移転してきた。昭和40年代以降から平成にかけても、住宅建設の勢いは止まらず、この一帯はかなり混雑した住宅地と化した。因みに、福岡市が区政を敷いたのは昭和47年4月Ⅰ日であり、この時より当地は福岡市南区となった。
 その間、昭和50年代には、池の南側(山寄り)の浅瀬の部分が市により買い取られて、老人いこいの家が設けられ、隣接の空き地はゲートボールのグラウンドとして利用されていた。当時、池の北側と西側の土手はブロックで補強され、池の周囲には柵が張られて、立ち入り禁止となっていた。雑草や水草の類も茂るにまかせ、全体として荒れ果てた様子であった。市の資料によると昭和58年には「ため池から治水池に」、池の種別が替えられている。
(4) その後、平成15年に至って、池の南(老人いこいの家の跡地)に西高宮公民が移設され、オレンジがかった外観の、洒落た建物が出現した。このことによって池の存在がにわかにクローズアップされ、この池を整備して地域住民のいこいのスポットにしたいという声が高まってきた。市は、市街地に残された貴重なスペースとして、池を整備して市民に開放することを決め、半年余の工期を経て、平成17年5月に現在の平尾新池が完工・オープンした。この時には、工事に先立ち、地域住民参加のワークショップを行って、地域の意向を反映するという方法がとられた。また、完工と同時にこの池の清掃その他維持管理を担うボランティアグループ「緑水会(正式名称:平尾新池 緑と水を守る会)」が結成され、今日にいたるまで月1回の清掃活動が欠かさず続けられている。平尾新池の整備に先立って、池の東南、旧猪俣邸跡地も「平和東の杜」として公園化され、天を覆うクスの大木が池に緑陰を添えている。

(5)現在は、子どもから老人まで多くの人々が、ウォーキングやジョッギングなどの運動を楽しみ、また時にはベンチに憩いながら風景を観賞したり、お互いにあいさつを交わして、ふれあいの機会を持つなど、さまざまな形でこの池を利用している。今や、この池は、地域のオアシス、あるいは一粒の真珠といってもよい貴重な存在となっているようだ。
                                   

H21年度活動報告とH22年度活動計画
          平尾新池 緑と水を守る会(略称:緑水会)
1.活動内容(H21.4~H22.3)
1)定例の清掃、除草       9回(4、5、7、8、10、11,12、1、2の各月)
2)花の苗植え(10種100本)   6月
 公民館・子ども会育成会などと一緒に南側及び東側のオレンジロード沿いに花
の苗を植えた。
3)「灯明まつり」のための除草、整地   9月
  灯明まつり実行委員などとともに池周辺全部にわたり除草・整地を行った。
○ 平尾新池灯明まつりは、9月12日(土)夕方、新池の中、通路、土手、階段などに約3500本の灯明を照らして盛大に行われた。
4)芝桜植え         3月 
  区役所・公民館の肝いりで、グリーンシティ(NPO)の指導のもと、子ども会育成
会などと一緒に西側土手の一部(8m×4m)に芝桜約600本を植えた。            
◎以上1)~4)の参加者:延べ315名(20年度、232名。36%増) 。うち西高宮
小生徒、延べ約30名参加。
◎2)~4)は、市のコミュニティ支援事業「大人と子どもの街づくりサミット」の一環 
 5)その他
  ① バン救出   6/28早朝、一羽のバンの体に釣り針(ルアー)が刺さって動け
なくなっていたのを通り合わせた散歩者と一緒に救出、針をはずして池に逃した。釣り人が池の中に放置していた釣り針(ルアー)に絡まったもの。
  ② 小学生に緑水会の説明   12/11、西高宮小6年約70名に対し地域のボランティア活動の一環としての緑水会の活動を説明(小野)。


 活動内容
①定例の池内外の清掃、除草など
   ②前年度に準じ、次の活動が想定される。
    A) オレンジロード沿いの花の苗植え   6月
    B) 「灯明まつり」のための除草、整地   9月
    C)  芝桜植え                 3月
   ③ その他     状況により適宜考える
                                          以上
3月の例会は、いつもと違って緑水会として「芝桜植え」に参加しました。
これは、平尾新池の土手に芝桜を植えようというもので、西高宮公民館が呼びかけ、いろいろな団体が参加して行われました。
当日は午後2時にスタート!!
NPOグリーンシティの指導で、池の西斜面、
ほぼ8m×4m位の区画に、白、赤、ピンクの芝桜の苗を約800本を、約40名の小学生や約30名の緑水会メンバーその他が2時間かけて順番に植えました。
うまく根付いて開花するのが楽しみです。参加者は総勢約100名。
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 提供     記事 会長
        写真 匿名
2010年度 年間日程

4月3日     予定通り行いました。
5月1日    予定通り行いました。  
6月5日     予定通り行いました。 
7月3日    予定通り行いました。
8月7日 予定通り行いました。
9月4日    予定通り行いました。
10月2日   予定通り行いました。
11月6日
12月4日
1月8日
2月5日
3月5日
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